" />

未破裂脳動脈瘤 手術

だんだんと聴力が回復したかのように、雑音が大きくなっていきました。

そのうち男の人の声がし、

「意識が戻ってきているようですね。〇〇さん、聞こえますか」の声に、だんだんと覚醒するのがわかりました。

とにかく身体が重い、頭も重い、気持ち悪い。

とにかくしんどい。

我慢出来ないほどの吐き気が何度もありました。

しっかりと頭が起きると、そばに主人がいて様子がおかしい。

主人が涙を流し、「よかった。大丈夫か。」

私の手を握り、もう片方の手で何度も何度も私の手をなでていました。

そうしている間も吐き気が止まらず、頭痛もかなりひどく、とにかく辛い時間が続きました。

私が目を覚ましたのは、HCUという高度治療室という部屋でした。

目が覚めて、担当医の先生から説明を受けたのは、動脈瘤に詰めたコイルがしばらく動脈瘤内に留まっていたが、血管の先まで流れてしまい、それが脳血管障害の原因となることから、すぐに開頭し流れてしまったコイルを取り出す手術をしたということ。

またカテーテルの手術の傷口のある太ももの付け根の止血のために、かなり圧迫しかなりのアザになっていること。

その話を聞いた時に、「あーそーなんだ」

としか、思いませんでした。

実家の父親は、「医療ミスじゃないか」って激怒していましたが、難しい手術だということは理解し納得したうえで手術を決めたので、何度も言いますが、「あーそーなんだ」と受け止めていました。

HCUでの様子から問題ないとのことで病室に戻ってきましたが、なぜか個部屋。

念の為に個室にしてくださったようです。

目が覚めると弟と妹がいました。

そこで初めて、主人の涙の理由を知りました。

コイルが流れてしまった時点でかなり危ない状態だったこと。

そして意識が2日近く戻らなかったこと。

そんなに時間が経過しているとは夢にも思わずいたので、弟の話を聞き、ただただ驚きました。

そして実家の両親も弟妹も、開頭手術に急遽変更になったその手術中に涙を流し続ける主人を見て、

「いいダンナさんもらったな」と口を揃えて話していました。

主人は、手術中も手術が終わり私の意識が戻る間も、心配と、子どもたちにどう説明したらいいかわからなかった、泣かせたくなかった、悲しませたくなかったと、いろんなことを考え頭がいっぱいだったようです。

手術をすることは事前に子どもたちに伝え、手術が終わったら連絡することにしていました。

連絡があるだろうという時間になっても父親からの連絡がなく、子どもたちも不安になっていたようで、その不安が的中したと思ったと後日聞きました。

自分の知らない間に、主人や子どもたち、両親、弟妹に、こんなにも心配をかけてしまったことを本当に申し訳なく思いました。

だからこそ、今回のことで嘆くことはしないと決めました。

自分で決めて自分でお願いしたことなのに、悲観的に思うのも違うって思いました。

辛いと泣く姿は見せないと心に決めました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA